揺れに付き合う

公開日: 2009/11/16 MSW

患者さん家族の「揺れ」に付き合うには「余裕」が必要だと思う。


「揺れ」は一緒に混乱することではなく
センターラインの位置がわかった上でサイドステップを繰り返すイメージ。
つまりは、立ち位置を明確にした上(言い換えればどのようなスタンス、目的をもってその人に対峙するかということ)で、同じような揺れ幅で意図的に揺れるには、揺れることのできる「余裕」が必要なのだと思う。


患者さん家族と医療者側の事実の認識スピードは
比喩すれば「自転車と新幹線ほど違う」のだと思う。


ラベリングすれば医療者側は楽になる。
「理解の悪い本人・家族」というラベルを張った瞬間
その人たちの「揺れ」に付き合えなくなる。


限られた時間の中で、その圧倒的なスピード感の違いの中で
対象となる人と一緒に意図的に「揺れる」ということは体力的にも精神的にもしんどいことが多い。



「揺れ」に付き合うことは「共感のポーズ」ではない。
「揺れ」に付き合うことは「揺れること自体を後押しすること」


一定のラインを越えれば「揺れ」は一つの方向性を見つけ
それに向かって人や環境は変容していく。


ひとつひとつの揺れを徹底的に検証し強めあうことで、現時点での確認作業を終えることができる。すなわちひとつの方向性を描ける。
抽象的だけれども、感覚的に掴めつつある。要言語化。そして実践での積み重ねが必要。


患者さん家族の「揺れ」との付き合い方はいろいろな方法があるけれども、意図的に付き合う以上、意味のあるものでなければならない。


共感は「揺れに付き合う」ことに内包されることのような気がする。


いろいろなアプローチをした後に、前後の患者さん家族の小さな変化に気づけると、そこから多くのことを教えてもらえる。


今日も新たな課題を見つけることができました。
ハテナ?が見つからない日は進歩のない日。


ハテナが無いと楽だけどつまらない。


ねむい。おやすみなさい。
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