「関係性は何のために築くのか」という問いについて考える

公開日: 2012/03/17 MSW

「他者に全身でメッセージを伝える行為ってすごく疲れることだな」と日々仕事をしていて思います。

自身の新人時代を振り返ると、当時の自分にできたことと言えば、目の前にいる人に集中し、全神経を研ぎ澄まし、「わたしはあなたをサポートしたい」というメッセージを全身で伝えることくらいでした。



わたしの新人時代のテーマは「対象となる人との関係性をどう築くか」に終始していたといっても過言ではないかもしれません。例えば、患者さん家族が色々と身の上話をしてくれたり、「話せてすっきりした」と言われたり、はたまたなにも話してくれない患者さんもいたり…。そんな出会いに、一喜一憂していました。


新人時代の自分は「対象となる人との関係性をどう築くか」というテーマに終始し、「何のために関係性を築くのか」という問いを持つことはできていませんでした。


前振りが長くなりましたが、本エントリでは「関係性は何のために築くのか」という問いについて考えると題し、対人援助職が対象となる人との間に構築する関係性の意味について記していきたいと思います。


1.「わかった感」という「危ない罠」
前述した『自身の新人時代を振り返ると、当時の自分にできたこと言えば、目の前にいる人に集中し、全神経を研ぎ澄まし、「わたしはあなたをサポートしたい」というメッセージを全身で伝えることくらいでしたこれは、後付けの理由ですが、今思えば、「それしかできなかった」のだと思います。


そして、新人時代は「それでよかった」のだとも思っています。


ですが、「わたしはあなたをサポートしたい」という精神論だけで済まされるのは新人時代だからこそ。そのことに気がつくまでにそう時間はかかりませんでした。


現場2年目に突入した頃のわたしは、気づくことも多くなり、手持ちの武器も多くなったような、新人時代の「何も無い感」からの脱却を図れたような気がして、とてもワクワクしたことを覚えています。

その頃のわたしは「人間の専門家」ぶって、対象となる人の、一挙一動に「過度の意味付け」をし、ソーシャルワーカーである自分と対象となる人の間に生じる関係性の構築に多くの興味とエネルギーを注ぎ込んでいくようになっていったのです。


ですが、そのような自分勝手な「わかった感」は当時、脱・新人の時期に差し掛かっていた自分にとっては、非常に「危ない罠」でもあったわけです。



2.「内にこもる関係性」→「外に開かれた関係性」
上記のように、援助者とクライエントの間に生じる様々な出来事を「関係性」だけにひきつけて考えてしまうと、「両者の関係性の中だけで起こった物事を最重要視する」という二者関係に終止したおかしな構造を生んでしまいます。これではただの「内にこもる関係性」に過ぎなくなってしまうと思うのです。


「患者さんに頼りにされたり、色々しゃべってくれた!わたし信頼されてるかな!」と感じ、関係構築「のみ」に、のめり込んでいくのが、「内にこもる関係性」の視点です。


「内にこもる関係性」というのは、人間にとって心地よくて安心できるもの(親子とか恋人同士など)だと考えます。これが私的な関係であれば、「内にこもる関係性」であろうが、なんであろうが、問題はありません。


ですが、ソーシャルワーカーは対象となる人にとっての「親しい、愛すべき他者」という役割ではなく、極論、ソーシャルワーカーは、対象となる人にとっての社会資源(ツール)のひとつに過ぎないのです。(注:わかりやすいのは、エコマップを書いてみることです。クラエントシステムからソーシャルワーカーに接続する「ひとつ」の線を「関係性というツール」と捉え書いてみる。絵的にイメージするとそれが外に開かれた、外部に接続するためのものだということがわかります。)


そのような前提を心の中に据えた上で、援助者はあえて、その関係性を問題解決のためのツールとして「外に開かれた関係性」として捉えるということを考えていくべきなのだと個人的には思います。


3.関係性の構築は目的ではなく、問題解決のためのツールに過ぎない

「関係性の構築は目的ではなく、問題解決のためのツールに過ぎない」

私はそのことに気がつくまでに、かなりの時間を要しました。

「援助者と対象となる人との間に生じるのは「問題解決を図るために用いられる」関係性であるわけなので、信頼関係(ラポール)ありきではなく、それは援助過程で形成されるツールのひとつだと捉えるべきなのだ。」

上記のように、シニカル過ぎるくらいの自己認識をしておくことで、援助者とクライエントの間に生じる関係性を勘違いしないで済みます。キツい言い方かもしれませんが、私はそう思うのです。

良好なコミュニケーションの積み重ねが良好な関係構築を生むというのは、確かにそうだとは思いますが、対人援助職がその際考えるのは「ではこの関係性を何のために用いるのか?」ということであって、良好な関係を構築することが「目的」では決して無いのだと思うのです。

私はそのことに気づいてから「おお、この人とは結構いい関係築けてるんじゃね?」という感覚を抱いた瞬間に、「ワーカー・クライエントの二者関係に終止して解決できることなんてほとんどない」、「関係性は問題解決のツールだ」という両文を自動詠唱するように叩き込んできました。


この両文を自動詠唱することによって「それでは、良好(だと思う)なこの関係を何のために用いるのか?」という段階に思考を移すことができるのだと考えています。



ときには、援助者が嫌われ者を演じなければならないこともあります。


それは往々にして、その人たちが見たくない、考えたくない、触れてほしくない、「でも」、それに手を付けずには本当の意味で歩を先に進めない、というような「モノ・コト」を目の前に露わにさせるような関わりなのだと思います。

援助者が対象となる人と構築する関係は、なにかしらの「枷(かせ)、制限」があるものです。

その「枷(かせ)、制限」があるからこそ、そこで築かれた関係性が、「対象となる方の問題解決に向けたツール」に成りうるのだと思うのです。

そういった意味で、『「関係性は何のために築くのか」という問いについて考える』ことは、「問題解決のためのツールのひとつ」であるソーシャルワーカーである自分自身を「社会資源」として客観的に分析していくことにも繋がるのだと私は思っています。



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