ソーシャルワーク援助の質を一定に保つために必要な「余裕」をつくることについて考える

公開日: 2012/08/21 MSW コミュ論 思索

余裕が無いと、エネルギーの多くを患者さん家族に対して投入できない、という反省から学ぶことは多い、と日々感じています。

「余裕」をどうすればまとい、現場に立てるかということを突詰めて考えると、時間管理の仕方に行き着く、というのがいま現在の私の考えるところです。



6年目ながらやっとそのことに体感をもって気づけたなと感じています。


「余裕」が生まれると、おおらかでいられるし、周りの人の動きも少しだけよくみえてくる(視界に入ってくる)自分の不得手なところだったからこそ、そこに着手し改善できてきたという実感が嬉しいな、と。


「精神的平静さ」を保てない人の援助は、ジェットコースターのように乱高下するのだろうと思うのです。



「質の担保」は「精神的平静さの保ち方」をベースに成り立っていると言っても言い過ぎではないと思います。感情はコミュニケーションを通じ伝播し、よくも悪くも相手の身体に浸食するからです。


煮えたぎるハートや沸き起こる感情を精神的平静さというオブラートで包むくらいがちょうどよいのだろう、と。オブラートの「厚み」をコントロールできることができることがプロのひとつの条件なのだろうな、と思うのです。



そういう、当たり前のことを、きちんと考え、自分を律したり、整えたり、そういう試みを企てる中で、自分なりのオブラートの包み方を見つけたいと考えているのです。



感情の赴くままに突っ走っていてはみえない、気づけないものがある。「対人」かつ「援助」職の文脈においては、なおさらそれが重要。もし、理想として、凪のように「在る」ことを目指すのだとしたら、その境地に至るためにどのようなことが必要かを考えてみることっておもしろいことだなと思うのです。



あとは、仕事の仕込みをしっかりすること。

言い換えれば、準備を怠らないこと。これがしっかりできていると、焦らない。
言葉にすると。当然のことなのですが、継続するとなるとしっかりと、仕組みと仕込みを考えないといけないな、と体感するわけです。


1日をどうつくるか、ということは、主体的に時間に向き合おうとしないと、考えること機会もあまりないことだと思います。


けれど、それが大きな機会損失であることに気がつくこともまた稀で、出会いやらタイミングやらで変わるのだろうな、と思うわけです。


気づいたときが、やり時であり、変わり時なのだ。


わたしはそう思っています。




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