エッセイ)二重の”制約”という”高濾過フィルター”を通してエネルギーを社会に照射するということ

公開日: 2014/02/23 思索 自分史



良くも悪くも、”枷(かせ)”をつくらざるを得なかったからこそ、産み落されたものが多くあると、よく思う。



私が対人援助の仕事についたこと事態が、”枷”を生んだのは間違いがなくて、もし、”枷”が外れれば、社会に照射するエネルギーは今以上に増大するだろうけれど、だがそれは多分な不純物の混在した「濁り切った」エネルギーになることは、想像がつく。


私は、社会の歯車として機能するにあたり、”枷”を得なければ、「濁り切った」エネルギーを社会に照射してしまうことをわかっていたのだろうと思う。だから、対人援助の仕事という”枷”を課し、「濾過フィルター」として、可能な限りエネルギーを「純化」させ照射させようとしたのだろうなと思う。


”枷”というのは、”制約と言い換えることができる。”制約”の中で生まれるモノたちは、どこか窮屈で、制約の中を行き来しながら、制約の穴を探し、飛び出そうとする。この”制約”こそが”濾過フィルター”となり、その小さな穴を通ることで、エネルギーは”純化”され、社会に照射される。


社会の歯車として正常に機能するために、対人援助職という”枷”を課し、過去の経験を飼いならすため”言葉という鎖”を得た。二重の”制約”により、”濾過フィルター”の濾過精度が高まる。だからこそ、社会に照射されるエネルギーに含まれる”残渣”は減少する。簡単なロジックだ。


もし、二重の”制約”を解除したら、自我が拡散してしまうのかもしれないとも思う。自我を構成させておくために、”枷”と”鎖”という二重の”制約”を生み出したわけだから、人間というのは本当に賢い。


ハタチのときに採用した”経験を飼いならす言葉という鎖”という概念が、あまり長持ちしないと”わかっていた”のだろうと思う。だから、2つ目の制約を付与するために、大学をやめ、”対人援助職”の道を選ばせたのだろうと腑に落ちる。自我を安定して構成させるために必要な2つの制約を得るために。


カラダの奥底から無尽蔵のように滾る何かの「正体」は、2つの”制約”の抜け穴を探す自我の粒子たちが、拡散したがる自我を押さえ込む”制約”が生む高濾過度フィルターを通り、飛び出してきた「モノ」なのだと理解している。そうすると全ての説明がつくから。


私が、しっかりと手綱さえ握れていれば、何ら問題なんて無い。二重の制約によって出来た高濾過度フィルターに、拡散したがる自我の粒子をうまく通してやればいい。そうすれば、滾る無尽蔵の「何か」は半永久機関的に生み出せる。


こうやって、ガチガチに言葉でコーディングしてあげることで、うまく自我は構成され、明日も明後日も、在ることができる。めんどくさいカラダとココロだなあと我ながら思いつつ、まあ仕方ない。


まあでも言葉によるコーディングが必要だったからこそ、現実世界に産み落すことができたものたちがあるという事実と実感があってしあわせですよ。


他のものはべつにあまりいらないのだから。



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