連携とは何か?

公開日: 2016/07/11 MSW 連携

以前読んだ小説に警察の広報部の婦警の台詞で、「戦略なしにマスコミ対応ができるとは思いませんが、本当に窓を開こうとするなら、必要以上に戦略を仕掛けないことが最良の戦略のような気がしてなりません」というのがあった。
これは、福祉現場等でよく使われる「連携」についても同じことが言えるなあと思う。

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「戦略なしに”連携構築”ができるとは思いませんが、本当に窓を開こうとするなら、必要以上に戦略を仕掛けないことが最良の戦略のような気がしてなりません」
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「顔の見える連携」というのは聞き飽きたプラスチックワードだけど、未だにその言葉が聞かれるのは、それを使う人が「連携とはなにか」について腹落ちさせる言葉を見つけられずにいるからだろうと。
「連携とは行為なのか、状態なのか」
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クライアントを複数の機関同士で支えるとき、そこには「共同戦線」という名の連携線が張られ、支えることに費やした資源に比例して、状態としての連携と≒(ニアリーイコール)の「戦友としての友情度」は高まる。

そして、「機関同士の連携」というのも、その開始地点は、個々人同士の貸し借りや「なぜ、わたしがこのクライアントの支援メンバーにあなたをオファーしたか、わかるわよね」などという言外のメッセージをアイコンタクトや電話の声のトーンでくみとり合うような、そんなやりとりの中ではじまり、それが育ち、機関同士の連携”っぽく”なっていく。

たとえば、ソーシャルワーク部門において、他機関との戦友としての友情度を高めることに貢献していた人間が離職すると、そのおこぼれに預かっていたほかのソーシャルワーカーは、自分が築けていた(とおもっていた)連携とよばれるものが、単なる他者依存していたのだと気付いてしまうこともあるようにおもう。

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相手にうまく「貸し」をつくり、
相手がきもちよいように「借り」をつくる。
ものすごくざっくりいうと、これができる支援者は、数多の共同戦線上の「戦友としての友情度」をあげまくることができるようにおもう。


他機関との連携構築において、戦略は必要ではある。
けれども、「本当に窓を開こうとするなら、必要以上に戦略を仕掛けないことが最良の戦略のような気がしてなりません」もまた、そのとおりだとおもう。

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様々な支援機関の生態系のなかに、あたらしい資源が新参者としてはいっていこうとするとき、いくら自組織の可能なこと・理念を言葉で強く伝えようとも、「その地で、共に泥臭く、戦友としてクライアントを支え合った時間をもたない」相手からの言葉は、すでにその地で戦ってきた人間たちには簡単には響かず、空を切るほかない。

いくら顔を合わせようとも、実戦経験年数を声高に叫ぼうとも、現場におけるケースを通したコミュニケーションでしか、戦友としての友情度はあがらない。

『私(たち)も、この地で、この人たちを支えるために、この場所を踏ん張って死守してきたのだ。だからこそ、あなたたちと対等に交わせる言葉がある。』

その言葉を以ってしてはじめて、共同戦線を張れる。


なので、それまでは、連携戦略だなんだと言わず、機関として対象者に対してできることを実直に考え、実行していくしかない。
でも、やはり、ある程度の戦略も必要。むずかしい(笑

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