横山インタビュー記事(2014年)

公開日: 2016/11/18 SCA 自分史

法人メルマガで過去に配信しました組織内インタビュー記事を掲載いたします。
よろしければごらんください。


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――いまさら改まって聞くのもなんですが存じ上げないことも多いので、もともとのお仕事について教えてください。
横山
「大学を卒業してから2ヶ所の勤務先にソーシャルワーカーとして勤めました。主な仕事の内容としては、病院の外来や入院している患者さんやそのご家族が、病気になって生じる社会的な困り事、たとえば入院費の心配とか若くて働いているひとの生活費の心配があるというようなお金の相談とか、病気を抱えながら職場復帰するときどうしようかとか、いま多いのは高齢の方が病気で入院して治療して病気は良くなったけれども、もともと足腰がしっかりしていたひとが、歩くのがおぼつかなくなってしまったりとか、独りで歩けなくなってしまったりとか、中には病気自体は治ったけれども認知症の症状がすすんでしまってひとりで買い物できるか心配だったり食事をひとりで作れるかどうかとか、そういうお年寄りの病気が治ったあとに生じてくる介護などの問題で入院前と同じ生活ができるか心配なこととか、相談に乗ったりしていました。」

――相談は患者さんやご家族からということが多いようなイメージも有りますが、医師や看護師からのオーダーで動いたりすることもけっこうあるんですか?
横山
「そうですね、両方同じくらいありました。患者さんのご家族から「お金の心配があるんだけど」ですとか、「そろそろ退院できると言われたが、足腰が弱ったり認知症がすすんでしまって在宅生活が心配だ」と直接相談されることもありますし、医師や看護師など患者さんの治療にかかわるスタッフから、病気は良くなったけれども入院前と状況が変わってしまって退院にあたって生活の手伝いとか生活を整えて帰ってもらう必要がありそうだからそのあたりの準備で関わってほしいという相談を受けて、そこから患者さんやご家族にお会いするというパターンたくさんもあります。」
――相談内容としては、やはり退院時の調整というのが多い。
横山
「そうですね。在宅で安全に生活するために例えば足腰弱ってしまた場合には家に手すりを設置したほうが良さそうだとか、ひとりでの買い物が心配だが家族も手伝うことが難しそうであれば、介護保険制度を利用してホームヘルパーさんに掃除や買い物を手伝ってもらえるよう調整するというような安心して安全に自宅へ退院するためのお手伝いというのがひとつと。また自宅での生活が難しそうであれば入所できる介護施設や長期間入院できる病院を探したりという自宅以外へのパターンもあります。退院にからむ相談や支援がだいたい6~7割くらいで、そのほかに入院中の費用の相談や外来の患者さんの相談など退院にからまないケースというのもけっこうあります。」

――お仕事の中では、どういった職種のひとと関わっていくことが多いですか?
横山
「病院内では医師や看護師はもちろんリハビリのスタッフとか、あとは服薬の管理が難しい場合の指導・調整などで薬剤師さんにかかわってもらったり、退院してからの食事に関する指導や提案などで栄養士に説明してもらうこともあります。病院外では、居宅のケアマネや包括職員、介護施設の相談員、行政なら生活保護のケースワーカーや高齢者支援・障害者支援の担当課の職員ともよくやりとりをします。」

――ソーシャルワーカーの仕事につこうと思ったきっかけを聞かせていただけますか。
横山
「はじめ大学に進学した時はソーシャルワーカーという仕事につこうということは全然思っていなくて、工学部に進学しました」

――そうなんですよね。
横山
「宇宙にロケット飛ばしたかったのです。子どもの頃から。」

――それもすごいですよね(笑)。
横山
「名前(「北斗(ホクト)」)に影響されたんでしょうね(笑)」

――なるほど!
横山
「ですが、私はもともと15歳に血液疾患で入院し、骨髄バンクを通してドナーの方から骨髄の提供を受け、命を救っていただいた、という経験があります。」

――えっ、そうだったんですか?
横山
「はい。そういう経験もあって、進学で地元から神奈川に出てきて、とある場所で同じ病気をしたひとの自助グループに参加する機会がありました。そこにいらっしゃったのは、同じような病気をした人ではありますが、闘病きっかけに不登校になったり、就職がうまくいかず、という方も多く、反面、私は大病はしましたが、大学に進学することができて、不自由なく生活もできていたので、ふと、このままでよいのだろうか、と思ったのです。自助グループに参加した日の帰り道、ふと、「自分は運が良かったんだな」と。」

――「運が良かった」というのは?
横山
「大変な経験はしたけれども、進学もできましたし、それなりに暮らせていた自分は運が良かったんだな、と思ったんです。」

――自助グループに参加している他のひとたちとかかわってみて、自分の境遇は幸運だったと。
横山
「はい。でもその日の夜に「運が良かった」と思ってしまった自分に対して、ものすごい嫌悪感を覚えました。今でもそのことははっきりと覚えています。腹の底が焼けるような感じがしたことも、鮮やかに思い出すことができます。そして、そのときに思ったのです。「運が良かった悪かったで済まされること」というのを、今後の人生の中でできるのであれば極力少なくしていきたい、と。そういう仕事が社会に対してできたらと思うに至ったのですが、当時19歳でしたから、実際にそういうことができるようになるまでは、まだまだ時間がかかるのですが、世の中に数多ある「運が良かった悪かったで済まされること」というのを、今後の人生の中でできるのであれば極力少なくしていきたい」ということが、その日以降の、私が生きていく上での個人的なミッションになりました。
その後、工学部を辞め、2年生からの編入という形で福祉系の大学に入り直し、そこで3年間学んで福祉の仕事につきました。編入学当初はアメリカやイギリスにある任用資格である「チャイルド・ライフ・スペシャリスト」といういわゆる病棟保育士になりたいと思っていました。ですが、まずは日本の大学は出ておいたほうがいいかなと思い、お金貯めてゆくゆくは外国に留学しようかなと、そのときは思っていたのです。
福祉系大学へ編入後は、県立のこども病院と協働で、入院児のきょうだいのお子さんを学生で預かり遊び相手をするというボランティア団体を立ち上げたりしました(当時多くの小児科病棟では、感染症リスクを理由にきょうだいであっても、幼い子供の入棟を禁止していました。それゆえ、お見舞いに来てもきょうだいの子供だけ病棟の外でお留守番、という状況が多々見られたのです。そのことを知り、学生のマンパワーを活用しできることはないかと思案した結果、このような活動が生まれました。現在発足10年目を迎えたところです)

ソーシャルワーカーになろうと思ったいちばん大きなきっかけは実習での経験でした。
大学4年生の時に、大学病院で2週間の実習があったのですが、当時20年くらいキャリアのあるワーカーさんにつきっきりで実習させてもらうという貴重な経験をさせていただき、面接やカンファレンス、時間が許せば残業の時間まで可能な限りそばについて一挙手一投足を見せてもらうという実習をしました。
その実習の時に、私がこの仕事につこうと決めるに至った、ある高齢のご夫婦に出会ったのです。
80代くらいのご夫婦で、奥さんの方が骨折で入院し、入院前のように歩けないからこれからどうしようと相談室に旦那さんが直接相談に訪ねてきたというケースでした。私は経過の全てにずっとつかせてもらうことができ、終結までを一緒に過ごさせていただきました。
旦那さんは最初に相談室に訪ねてきたときは、とてもうろたえていて、奥さんは画家だったらしいんですけど、その元気だった妻が転んで骨折してしまい、医師からは入院前のように歩けるかどうかわからないと言われ、いろいろ準備しないといけないんだけどどうしたらいいかわからなくて…と、うろたえた感じだったのです。

私ははじめ「すごく困ってるんだなぁ」くらいしか思えなかったんですけど、実際に何回かワーカーとご主人が面接を続け、奥さんがリハビリをしている場面を旦那さんといっしょに見て、歩き具合いとかを確かめながら面接を重ねていったんです。
ソーシャルワーカーが関わっていく中で、ご主人自身はだんだん落ち着きを取り戻していかれ、実際に奥さんの状況を自分で把握された上で、妻はベッドを借りたほうがいいだろうかとか、手すりをつけたほうがいいだろうかとか、じゃあどうしたらそれが使えるかとか、具体的にきちんと口に出して、どうすればいいかということをソーシャルワーカーといっしょに確認しながら進めていかれるようになっていったんですね。

――それはいい場面に出会いましたね。
横山
「そうですね。これはたぶん今思えば、旦那さんがもともとしっかりした方でそういう対処能力があったという理解ももちろんできるのですが、ソーシャルワーカーがきちんと関わっていく中で「いっしょに奥さんのリハビリを見に行きましょうか」、「不明瞭な部分については主治医から説明してもらうようにセッティングしましょう」と提案し、旦那さん自身がきちんと奥さんと自分で何ができるか、何を補わなければいけないか、そういうことを旦那さん自身が考える上での材料とか準備を側面からサポートするような、そういう関わりをされたのです。

そういう一連の過程をずっとそばで見ていて、最初会った時にとても慌てふためいていた旦那さんがだんだん落ち着かれ、ご自身で主体的にこれが必要だと思うと口にされ行動を起こすという、つまりは、舵取りをしていくような変化に立ち会う中で、まあ2週間ほど間だったのですけど、私はそんな旦那さんの姿をみて、「人ってほんとにすごいんだな」って単純に思ったのんです。

はじめは「このおじいちゃん大丈夫かな???」とかって思ってたようなひとが、ちゃんとご自身で「自分の妻のことだから!」と舵取りをしていくようになっていって。

そういう、いろんなクリティカル(危機的)なことがあったとしても、そこからまた力強く一歩を踏み出すという場面に立ち会える、かつそこに寄与できるという可能性がこの仕事にはあるんだなって思い、そういうところにすごく惹かれたんです。
「ひとは変われる」っていうのが個人的な信条でもありましたので、個人的な信条にもダイレクトに訴えかける部分があり、いろんなたいへんなことがあるけれども、人は強いし、変われるんだということを信じることができた、信じさせてもらった、そんな経験を、そのご夫妻とソーシャルワーカーの関わりの中でさせてもらったのです。

――とてもいい経験じゃないですか!だってもしそのおじいさんが、実習中にあんまり落ち着きを取り戻さなかったりしたら、そういう風に思えなかったかもしれないですもんね。それは、やはりワーカーさんの対応自体も良かったんでしょうか。
横山
「たぶん旦那さんがもともと持っていらした「生きる力」と、ワーカーさんがそれを見極めた上で、そういう側面的な――ときには自分で物事を進めていくことが難しい状況下にある人だという評価があれば、舵取りをいっしょに半分くらい持ってガチっと進めていくというケースワークも必要だと思うのですが、あえてそれをしなかったのは、ワーカーさんの中にそういう評価がきちんとあって、旦那さんがしっかり舵取りできるように側面からサポートするっていうアセスメントをちゃんとしてプランニングしていたんじゃないかなと思うんですよね。」


――おおー、なるほど。
横山
「ですが、それは後付けでして、私自身が経験を積んだから振り返って思えることなのだと思うのですが。」

――そうやって振り返ると、それはソーシャルワーカーになるためのかなり大きなイベントだったわけですね。
横山
「それで決めたといっても過言ではないですね。」

――その実習に入る前は、まだ保育士の方向で考えていたんですよね。
横山
「ええ。どうしようかなとか思ってて、就職活動も何もしてなかったんですよね。」

――4年生ですよね?
横山
「4年生の7月くらいです(笑)」

――みんな公務員とか受けちゃってる時期ですね。
横山
「まあ病院の求人とかもまだそれほど出てなくて。」

――まあ福祉の業界は全体的に求人遅いですしねぇ。
横山
「けっこう甘く見てたんです(笑)」

――でもそれで、ソーシャルワーカーをやろうと思って、しかも卒業してすぐにそのやりたい仕事に実際に就けちゃったんですよね。
横山
「7月に実習終わって、それから就活はじめたんですけど、うちの大学、当時私たちがその学科の初めての卒業生で、業界に先輩とかもいなくて就活も一個一個インターネットで調べたりしていました。

――ぜんぶ手探りでたいへんだったんですね。
横山
「そもそもその頃は医療機関のソーシャルワーカーの新卒採用は少なくて、今でこそ診療報酬上で社会福祉士の配置に点数化されて雇用も増えましたけど、経験者採用が多かったと記憶しています。それで卒業式の前日に、やっと就職決まったんですよ。」

――めちゃめちゃギリギリ!でもそれが決まったときのお気持ちはいかがでしたか?
横山
「うれしかったですね。あと『やっと終わった』と思いました(笑)」

――安堵感、ですよね(笑)それで、やっと卒業ギリギリで就職が決まって勤めはじめて、実際に自分がソーシャルワーカーとして直接ケースに関わってみて、実習のときのイメージと比較してのギャップとか、その辺はどんな風に感じましたか?
横山
「なんか、あの…全然…こう自分が思い描いていたところに1ミリも到達できませんでした」

――それはどのくらいの間?
横山
「2年目くらいまでですかね、もう毎日辞めたかったです」

――大学の実習のときに出会った理想になかなか1ミリも近づけなくて。
横山
「ええ、そのひとの変化にいっしょに立ち会って、力強い一歩をサポートするっていうイメージに全然、1ミリも近づけない感じでした…」

――その病院には、ソーシャルワーカーも何名かいたんですよね?
横山
「先輩と自分を含めて3名いました。」

――でもなかなかケースをうまく導けなかったことが多かったと。
横山
「その病院には急性期と療養期の病棟があったのですが、私は療養病棟の患者さんだけを担当していたんですね。上司が『ちゃんとひとと向き合う時間をゆっくり取れるから』という理由でそういう配置にしてくださって。でもそこで、なんというか迷路に迷い込みました…。
大学で学んできていて『患者さんやその家族、いわゆるクライエントは困っていて、相談者が相談室を訪ねてきて、コンコン(と相談室のドアをノックして)、で、そこからクライエントと出会う』というイメージを持っていたのですけど、療養病棟の患者さんっていうのはすでに病気やケガをした後、退院後に施設に行くための待ち時間ですとか、家に帰るまでのリハビリ目的で療養病棟に来たりしていたので、患者さんの方からあれが困ったとかそういう話は無く、こっちから話を聞いても「もうリハビリして帰るだけだからだいじょうぶだよ」とかそういう状態で、それ以上なかなか話が聞けなかったんです。
いま思えば、『大丈夫だよ』という言葉の中で患者さんの持つイメージとか、例えばどういう状態になったら『大丈夫』だと思っているのかとか、そういう接し方などもあったんでしょうけど、当時は『大丈夫』って言われちゃうと『ああそうか、大丈夫なんだ』って感じでシュンとしちゃうわけですよね(笑)。そこで自分の関わる意味ってなんだろうとかすごく考えちゃって。」

――それでもうずっと辞めたかったけど、辞めたくなくなったきっかけっていうのがどこかであったんですか?
横山
「1年目の冬くらいに出会った80代くらいの二人姉妹の方が、私を辞めさせないでくれた方々でした。
妹さんが骨折して入院し、お姉さんがキーパーソンというようなケースで、その妹さんが骨折後のリハビリ目的で療養病棟にやってきてお会いしました。お姉さんは、まあ簡単にラベルを貼ってしますと、『決められないひと』だったんですね。で、何度か面接を繰り返しても、自分もトシだし施設とかに入ってもらったほうがいいのかなと思いつつも、でも長くいっしょに二人で暮らしてきたから本人も家に帰りたいと思っているだろうし家の方がいいのかしらとか、実際に施設を見学してみては気に入らないところが…とか気になるところが…とかいう感じで、もうなかなか決められない。そういうお姉さんの話を聞いて、私ももちろん決められないし、一緒にどうしようね、みたいな感じでした(笑)」

――いっしょに悩んでいたわけですね。
横山
「当時は、(時間的に)許されないくらい何回も話して(笑)。妹さんご本人にも話を聞いてみると、軽い認知症はあったのですけど『家に帰りたいわね…』というようなことをぼそぼそとおっしゃってて、それで5回目くらいの面談ですかね、そのときもお姉さんはやっぱり決められない様子で、『本人も最近調子がいいとは言ってるんですよね…』『ちょっと私も腰が痛くて…』というようなことを言っていました。
私は、『そうなのですね』と話を聞いてて、そのときふと『これは私と話をしてても一生決まらないな』と思いました。
そもそもそのときの事実として、お姉さんがご本人とちゃんと向き合って、『私も自分の体のこともあるし家に返してあげたいけどこれが心配だ』とかっていう当事者のふたりの間での話ができていなかったようでした。

そして、私もお姉さんに単刀直入に聞かなきゃなと思い、『いままで何度もお話してきて、お姉さんの妹さんを思うお気持ちとかお聞きしましたけど、私と話をしていてもなかなか決められないですよね?ご本人とは退院後どうするとかそういう話をおふたりで直接されましたか?」ってお聞きしたら「していない」と。

『そうしたら、もうおふたりで直接そこをお話しするっていうタイミングじゃないですか』とこちらの考えを伝えました。そして、そのとき、お姉さんがそのとき少し凛とした顔をして『そうですね』って言われたんです。

『確かに私たち家族ふたりのことだから、妹と話をしないことには進まないですよね』と。そのご、しばしの沈黙のあと『分かりました。それじゃ今から妹に私の思い――心配だって思ってるってことなどを、話してこようと思います』と。『でもあなたにお願いがあるのだけれど、いまから妹に話しをしにいくけど、妹は私の前で本心を話さないかもしれないから、妹がどう思ったかっていうことをあなたから聞いてほしい』とお願いされたんですね。で、私も『わかりました』と答えました。

それでその面接は終わりました。
結論としては、お姉さんも自分の気持ちをしっかり話すことができて、妹さんご自身も家に帰りたいということをちゃんと言えて、お姉さんが家に連れて帰りますということに決めてふたりで自宅に退院されました。
このケースにおいて、お姉さんが『自分がこれをやります』と宣言し、そして、『あなたにはこれをしてほしいんだ』という言葉を私に向けてくれたってことを、私の中で『協働作業だ』と位置づけました。
今までずっと堂々めぐりで何かしらひとつアクションが必要というところでなかなか(アクションできず話を進めるのが)難しかったのですが、その中でもお姉さんが腹を決めて妹さんと話をするっていうアクションを起こされました。自分で舵取りをするから、この部分はあなたにやってほしい、補ってほしいっていう意思表示をする『協働』。
それが、私が学生時代に抱いていた、そのひとの主体的な舵取りを支えるっていうイメージに、少し、シンクロしたんですよね。

それ以降、いろいろなことに気づけるようになり、徐々に辞めたいとかっていう気持ちも薄れていきました。そこから毎年自分の中での個人的な課題はあったのですが、「完全なダメダメからの脱却」はできた気がします。1年目の冬のことでした。」

――まさに「ケースに育てられるソーシャルワーカー」っていう感じで、理想的ですよねー。
横山
「ホントそうですね。感謝してます。今でもしっかりお顔を覚えてますから。」


――その後、転職されるわけですが、転職のきっかけとかって何かあったんですか?
横山
「端的にいうと、4年おなじところにいて『慣れてきた』のですよね、スタッフに慣れて、地域の関係機関に慣れて、なんか負荷が少なくなってきた感じがして『このままではまずいのではないか』と思ったんですね。本来そんなことはあるはずはないのですが、どんどんルーティーン(決まっていること)を為していくだけというようなイメージが自分の中で出てきました。私は、自分が意思の弱い人間だという自覚がありましたので、環境によって意思の弱さを補完してあげる必要があると考えました。そして、若いのであれば、若いうちに職業的負荷が強いところで経験を積んだほうがいいんのだろうと思い、転職をしました」


――ちなみに転職はスムーズにいきました?
横山
「そうですね、その頃はもう社会福祉士の配置で加算が取れるようになっていたので、転職自体はそれほど…(難しくなかったけど)最初の就活のときはとても大変でしたけど(笑)」


――そうやって続けてきたこの仕事のやりがいとかってどんなことでしょう?
横山
「そうですね。当然、人の幸せなことを扱う仕事ではないので、ときにはこちらもしんどくなることもありますけど、いろんな大変な状況にあるひとに出会い、そのひとの人生のいっときにかかわる中で、大きな危機がそのひとに起こったとしても、その現実に向き合って明日も生きていくための一歩を踏み出すという瞬間に立ち会える、かつ寄与できるっていうところに、いちばんやりがいがあるのだと思います。『ひとってすごい!』という、人に対する興味と尊敬が年々育まれてきたような感じはあります。」

――そういうやりがいを感じる中で、逆に大変だなとかしんどいなって感じることってありますか?
横山
「うまく伝わるかどうかわからないんですが、個人的な価値観や思想みたいなものが現場で勢いよく顔を出しそうになったとき、私であれば、『ひとは必ず変われるんだ』などの自身を形成しているような価値観をときにクライアントの方に向けてると自覚したとき、ものすごく怖くなることがありました。」

――ああ、なるほど。
横山
「いちど、そういうことを言われたことがありました。
その方はは60とか70歳くらいのおばあさんで、若いころに大きな事故にあって腕かどこかかに欠損があったんですね。それでもとても明るく闊達な方でした。骨折をされ、リハビリ病院に転院するためのお手伝いだったんですけど。
そのひとと話しているときに『あなたは、私に何か言ってほしい言葉みたいなものを期待しているような、そういうフシがあるわよね』というようなことを言われたことがあったんです。それは特に悪い意味とかではなく。でもそのとき『(何かを気付かされたように)あっ』ってすごく思いました。
私はたぶん、そのおばあさんに対し「障害を負って、でも結婚して子どもを育てて、今も主体的に明るくいきいきと生きてる」みたいなイメージを受けていたので、そのひと自身が大変な状況を乗り越えてきて、いろんな苦難のストーリーを経た上でここにいるんだっていう『変わってきた人』というようなイメージングをして、勝手に援助の中で期待していたんですね。(このころの気づきは、代表横山が過去でブログにて記しています。想像力不足を援助者が期待するストーリーで埋めるということについて考える)
おそらく、その方は私以外にもずっとそういう視線を向けられてきたんだと思うんですよ。まあ実際にどうだったかは分からないのですが、だからそういう風に言われたのかな、と。往々にそういうことは起こりうるんだなって思ったんですよね。
『あなたはできるでしょ』とか『あなたはダメでしょ』とか、そういう言葉とかかかわりの中の根底に流れるメッセージとして、ときにそれがひとを傷つけたりとか、そのひとの価値を揺るがすようなそういうナイフのようなものが自分の中にいるんだってことを、改めて自覚させてくれたんですよね。そのひとに『(心の底から申自らを恥じるように)ああ、本当にすいません…』と思いました。まあそのひとは笑って言ってましたけどね(笑)。」

――それはまたいい出会いでしたね。
横山
「そのときは『○○さんが大変なご経験されたってお聞きして、今でもすごく明るくて(自分が)エネルギーを強く受けていたので、すごい人生を歩まれてきたんだなっていうイメージをきっと持っていたんだと思います』というような感じで言葉を返したんですけど、そしたら『そんなことないわよ~あはは~』みたいに笑って言っておられました。あれはどういう意味であの言葉をくれたのかは今となっては分からないですけれど、私はその言葉からそういう風に読み取ったんですね。あの『あなたは私から何か言葉を期待しているようにみえるわね』っていう言葉が…あれは本当に忘れられないですね。」

――個人的に大事な信念とか信条みたいなのってきっと必要なものだとは思うんだけど、それを自分の仕事の中にどれくらい反映させるかって大事ですよね。そのバランスというか、まったく何も考えなしで支援とか援助とかしていても中身が伴わないし、かといって価値観の押し付けになってしまうとけっきょくその人の力にならないし、そういう難しさみたいなものはありますよね。
横山
「それはまったくおっしゃるとおりに難しいところで、そういうものが無くても援助者としてのエネルギーみたいなところに影響しますし、それはやっぱり自覚的であるかどうかってことになりますよね」

――ちょうど価値観の話が出てきたので、横山さんが仕事でもSCAの活動でも大事にしている価値観について教えて下さい。
横山
「これはもう重ね重ねになってしまうんですが、『ひとは変われるんだ』っていうことですね。」

――そこがいちばん大きいんでしょうね。
横山
「そうですね。それはやっぱり私自身が病気をして、いっときは社会からドロップアウトするギリギリのところまでいき、その後、いろいろな方の助けによって、社会生活にちゃんと再適応しリカバリーして、社会の歯車の一部になれたというプロセスを経ているので、よりいっそう、じぶんが変わってきたからこそ、あなただって変われるチカラがあるし、危機的な状況下であってもこれからも生きていけるようなプロセスに寄与したいという思いが、私個人のストーリーとリンクしている部分があります。だからこそ危ないという面ももちろんあるのですけど、そこは自覚度の問題でもあるので。やっぱりそれがいちばん大切にしたいたいことですね。そうでないと、いま目の前にいる人の能力とかそういうものを私たちは得てして容易に評価しますけど、根底にあるのはそのひとが主体的に力強く歩んでいけるかというようなところだと思うので、だから『このひとはダメだよね』っていうようなラベリングはできるだけしたくないです。」

――『ダメ』のラベリングはもちろんいけないんですけど、さっき話していた『絶対できる』というラベリングもまた、ちょっとね。絶対できるだろうと援助者が思っていても、そのひと自身のチカラや、そのひとを取り巻く環境が追いつかないことも絶対あると思うので。そのバランスが難しいですよね。
横山
「ええ、難しいですね」

――でも、「変われる」って自分でも思いたいし、相手にも思ってもらえたら、それはうれしいですよね~。
横山
「そうですね、でも『ひとは変われるんだ』」っていうことの対義に『ひとは変わらなくてもいい』ということが存在していると思うので、そこをカッコに入れておくってこともまた大事なことだと思うんですよね。そうじゃないと、またおばあさんにああいう風に言われちゃうわけで(笑)。」

――変わらなきゃいけないこともあるし、そのままがいいってこともきっとあると思うんですよね。そういう価値観をそのひとがうまく決められるようになればいいですよね。
横山
「そうですね」
――話は飛びますが、理想の職業人像を教えて下さい。ゾルゲ以外で。
横山
「ゾルゲ以外で(笑)」
――まあ「ゾルゲ」っていうのは金子さんくらいしかいないと思いますけど(笑)
(※詳しくはリンク先の当団体理事金子氏のインタビュー記事をご覧ください)
横山
「私はやっぱり、松井秀喜さんですね」

――野球選手の?
横山
「そう。」
――へぇ~。それはまたなぜ?

横山
「もともと野球見るのが好きで、メジャーリーグまでニューヨークに応援しにいったりしたんですけど。2009年のワールドシリーズ(全米一のチームを決めるメジャーリーグ優勝決定戦、日本でいう日本シリーズのようなもの)で日本人初のMVP取られたのですが、松井さん口だけの大きなことを言わないんですよ。やるって言ったことは必ずやるし、当たり前に人に対する感謝も忘れない。メジャーに行き、左手首を骨折したり怪我に見舞われたのですけど、ワールドシリーズのMVP獲って最初のインタビューで、『好きな野球さえできれば辛いことはなかった』って言ってたんですよね。あれだけ最高の舞台で活躍できるプレーヤーが『野球ができるだけでいい』みたいなことをさらっと言ってて…。」

――それは、たとえばソーシャルワーカーに当てはめると、どんな感じになるんですかね?その理念はなんとなく分かるんですけど、それを実際に自分の仕事で活かそうとしたときに、どういうところをどんな風に参考にしていくといいますか。
横山
「私がいつも思っているのは、ひとつのことを実直に続けていくということはひとつの能力だと思っているんです。松井さんの実直にプレーを続ける姿は、実直にひとつのことを続けることができること自体がひとつの才能であり、そして何かを生み出す源泉になるのだ、ということを教えてくれたように思います。
私の場合はたぶんそれが『考える』ということです。同じ問いについてしつこく考え続ける。暫定的な答えをポッと出して、それでこの問いは終了っていう風にしてしまわないで、何回も何回もずっと考えるんですよ。自分の中に問いが出てきたら、それをずっと頭のなかに置いといて、考えられるときに考えて考えて…っていう『思考体力』みたいなものですね。」

――「『横山さん、考えるの好きだなぁ~』って思います。『このひといっつもなんか考えてるなー』ってよく思うんですよね(笑)。『考え依存症』なんじゃないかって気がするぐらい、人生における『考えること』のウェイトがめちゃくちゃ重いひとだなって。それは別にいいとか悪いとかそういうのじゃないんですけど、客観的に見て『考えないと死んじゃう!』みたいなところがあるじゃないですか(笑)」
横山
「あ、そうですね(苦笑)」
(ゲストの方から質問)
――ブログとかを拝見してると、なんていうか『使命感』みたいなものを強く感じるんですよ。自分の中でのミッションみたいなものってあるんですか?
横山
「偉そうなのですが、そういったものはあります。さきほども少しお話しした『これからの自分が生きていく時間において、世の中の運が良かった・悪かったで済まされることをできるだけ減らしていきたい、なくしていきたい』そういう仕事がしたいなっていうことをずっと腹に中に持っていまして、大学で学んで現場に入っていろんな問い自分の中に出てきて、一個一個ずっと考えつづけてきました。
『運が良い・悪いで済まされない』っていうのは言い換えれば『機会の不平等を下からならす』っていうことなんですね。そういうもの(機会の不平等さ)があったとしたら、それを誰かが下から支えてならすこと、均等にはできないかもしれないけど、それをどれだけならせるかっていう『機会の不平等をならす』っていうことが、自分の中での非常に大きなミッションですね。

その延長線上にあるのがSCAで、『社会の支え手/ソーシャルワーカーを支える』っていうのは、自分は上司もちゃんといる職場でしっかりキャリアを積み上げてくることができて中堅どころまで足を踏み入れることができて、ちゃんと成長して仲間も作れて、自分のやりたいことも見つけて、そういう風に自分が歩んでこられた中で、そういう環境にないっていうひとたちもゴマンといるわけで。だとしたら、自分が気づいたそういう問題意識とか問いに対して自分がそこに身をおいていて少し頑張ればそこに寄与できるかもしれないって思った瞬間に、『わたしがやる他ないのだ』って思ったのだと思います。入職1年目に友人がバーンアウトで現場から去るということを経験し、その方と共有した時間もまた私に多くの示唆と問題意識を与えてくれました。
SCAを立ち上げる前は、いろんなことを考え、思考はかなり発散していました。(ソーシャルワーカーの)認知度はどうやったら上がるのか、ですとか、ソーシャルワーカーのためのウェブメディアみたいなのを作ればいいのかな?など、着想がポンポンいろんなところに飛んでたのですが、考えていることは一緒でして、認知度が上がればもっと労働環境良くなるんじゃないかとか、業界内のいろんなナレッジ(知識・知見)がもっと広く共有される仕組みができれば、各々がいろんな学びを参照できて、もっとソーシャルワーカーたちの学びが豊かになり、現場でもう少し余裕を持って働けるんじゃないかとか。
これらは『機会の不平等をならす』っていうことに集約されています。私はたぶんソーシャルワーカーの業界にいなければ、また違った『機会の不平等をならす』とことをその違う業界の中で見つけ、そこに注力していたかもしれないです。極論、ソーシャルワーカーでなくてもよかったのかもしれません。
ですが、自分の過去の経験や縁あって、ソーシャルワーカーという仕事を選び、自分が長い時間、問いについて考え続け、自分の能力や仲間が、何かしらの意義あるものを現実世界に産み落とせるところまでじわじわどんどん近づいてきていているのであるとしたら、それをやり遂げるために日々歩むことは、きっと自分が生きる意味のようなものなのだろうと考えるようになりました。
こういったこと言葉にできるようになったのは、ずっと考えてきたからなのだと思います。なんでこういう風に思うようになったのか、なんでこれに興味があるのかということを考えに考えて考え続けていくと、自分の個人的なライフ・ヒストリーに絶対接続するのだと私は思います。こうやって言葉にして口に出せること自体が、その数倍以上の考えてきた時間があったということだと思っています。」

――まずは『考え依存症』にならないと…。ふつうみんな考えたら疲れちゃうじゃないですか。考え疲れちゃうから考えなくなっちゃうっていうのは、わりと誰にでもあると思うんですよね。それを考え続けれられるエネルギーってどこから湧いてくるのかなって、出会ったときからずっと思ってるんですけど(笑)それはやっぱりミッションを達成するためにっていうのがそうさせるんですか?
横山
「やはり、それは、19歳のときに『自分は運が良かった』と、感じてしまった自分への罪悪感というのが自分の奥底にあるのだと思います」
――贖罪というか。

横山
「『パッション(passion)』という言葉があります。この言葉の意味は、『情熱』という意味と『贖罪』という意味があるんですが、そのことを知ったとき、自分の中ですごく腑に落ちたことを覚えています。
自分がなんでこれだけ同じことをずっと考えてつづけて、それを実現させるだけに動こうと思う理由は、やっぱり情熱もあるけれども、そうではないもっとドロドロした部分での、19歳の自分が「運が良かった」と思ってしまった嫌悪感、贖罪っていう部分がすごくあったように思います。非常にエゴイスティックであるとは思いますが、それは私の中では確かなることだと感じています。」

――でもそういう自分の嫌なことろを今ちゃんと語れるっていうのは大事ですよね。では、そろそろインタビューも終盤です。SCAを立ち上げた理由を教えてもらえますか?自分の仕事をする中で、SCAやろうと思ってからの展開が早いですよね。だってまだ1年ちょっと?2013年の8月24日。
横山
「あ、覚えてくれてて嬉しいです、日付。」

――ツイッターのアカウント名になってるからね(笑)。わりと順風満帆に賛同者も集まって、面白いことがたくさんできつつある感じがするんですけど、そのへんの感覚はどうですか?
横山
「そうですね。2013年の8月に、個人で企画していた勉強会に来てくれていた3人を巻き込んで一緒にやりましょうとなったときに、設立趣意書の概要みたいなのをバーッと書き上げて、それ持ってって3人にバッと見せて『ちょっとこれやろう!』ってけしかけました(笑)みんな、迷惑だったろうと思います(笑)
そのときにはだいぶアウトラインみたいなのは描けてたんですけど、でも実際に、社会の支え手を支えるとかワーカーと学者と起業家が集おうとか言ってましてけど、現実世界に戻されると、どういうものになるかっていうところの解像度ってすごく低かったんですよね。」

――うっすらとしてた。
横山
「はい。なんで自分がそういう言葉たちを出してきたのっていうことさえも、あんまり自覚できてなかったのです。ですがその後1年間、いろんな人に出会い、話を聞いてもらい、自分でも考え続けていく中で、ある程度まで抽象度を下げたものに行き着きました。この1年間で現実世界レベルでどういうものを生み出していくべきなのか、ということと、どういうった方々とどういった時期に出会い、何をやっていくべきかみたいなことがぼんやりと分かるようになってきたように思います」

――なんだかすごくひとに恵まれてますね(笑)。
横山
「ありがとございます。」

――やっぱりそういう思いのあるひとに引力ってあって、同じような思いを持っているひととかそういうことを実現させたいなって思うひとって集まると思うんですよね。私なんかも『このひとやるな!』っていうのがピンときたのでいっしょにやらせてもらってますけど(笑)。
横山
「うれしいですね。」

――いやいやいや(笑)ソーシャルワーカーさんたちの中で「なんかやりたい」とか言ってても、だいそれたことをやれるひとってそうそういないじゃないですか。でもここまでちゃんと言ってちゃんとやってるひとってそんなにいないなって思ったら、『このひと、なんかすげぇな!』って思っちゃって(笑)。
横山
「内輪ですが、嬉しいです(笑)」
(ゲストの方から質問)
――あと、やっぱり『勇気』ですよね。私、ツイッターはじめたのが2011年くらいですけど、割と早い段階で横山さんのアカウントをフォローしてて。いま情報発信するツールはいっぱいあって、ソーシャルワークとか福祉の世界で発信していくひとで、実力あるひともいるかもしれないし、丁寧に記録を書けるひともいるかもしれないけど、それを見知らぬ人たちに対して分かりやすい言葉で落としこんでいくっていうことをしているひとって他にあんまりいなかったんですよね。発信するってことは批判を受けるってことも想定されるわけで、なおかつそれでも伝えたいことがあるっていう、その『熱』ですよね。そこがスゴいなあっていう。

横山
「私が言葉に出来たというのは、二重の構造がありました。奥川先生の本(*身体知と言語)に影響を受けたり、大学の恩師から『気づいたことをどんどん書いておいた方がいいよ』って言われたりしたことで書き始めたこともあるのですけど、もうひとつはさっきの話で出たおばあちゃんから『何か期待されてる』って言われたことですとか、自分が現場に出るときに自分の強烈な価値みたいなものがうごめくような、暴れるような自覚があったので、現場でそれを取り扱うのは非常にリスクがあると考えたときに、自分の持つ特性や価値というものを言葉というツールを使って、自分のイメージだと『自分の中の獣を言葉という鎖で飼い慣らす』という感じを持ってるのですけれど、そういう内的な獣をちゃんと飼いならすために言葉というものを使おう、と考えました。
このような二重構造があったので、自分のことを事細かに腑に落ちるようにテキストにするというのは、自分が現場で稼働する上で必要だったことなんです。言い換えれば”避けては通れないこと”でした。
そういう必要に迫られていたということに加え、何かを伝えなければならないという、2つのエンジンがあったので、もう生理現象くらいのレベルで行うことができます。考えてたのが先なのか書いていたのが先なのかもう分からないんですけれども、いろいろ話したりとか本を読んだりして、栄養をとって排泄するみたいなイメージなんですよね。特に書くことは排泄レベルかもしれませんね(笑)」

――(ちょっと切なそうに)え、じゃあSCAも排泄物なんですか?
横山
「いやいやいやいや(笑)」
――要らなくなっちゃったものじゃないの?だいじょうぶ?
横山
「いや、言葉を吐き出すのは排泄ですけど、それでできたものは副産物ですよ。。副産物がたまってきたらいろいろできちゃったみたいな!」

――まあ言わんとすることは分かります(笑)。そろそろ時間も迫ってきましたので、SCAの目指すべき社会、組織として実現すべきことなどについて聞かせてもらえますか?
横山
「そうですね。柔軟性のある社会といいますか、困ったり、病んだり、立ち止まったり、休んだり、そういった時間が人生のなかでいっときあったとしても、社会の中で自分のいる意義がある、自分が必要とされている、と感じることができる社会というものを目指していきたいです。
多くの人にとっての長い人生、広義の福祉と呼ばれるものに関わらずに生きていくことのできる人は少ないですし、これからもそれは大きくは変わることはないと思います。ですが、健康で不自由なく暮らせているとき、人は当然、自分の不幸な未来を想像することはしません。というか、多くの人はそんな想像はあまりしなくていいと思うのです。
ですが、社会福祉の現場にいるソーシャルワーカーたちは、対象になるクライアントの方から、日々、この社会の不条理さ、システムとしての欠陥を”教えてもらっている”はずです。だからこそ、社会福祉現場発のソーシャルアクションによって、福祉サービスの質と量を向上させ、そして、社会の福祉に対するアクセシビリティ(物理的にも、精神的にも)をよくしていくことで、社会をよりよくしていくことが求められていると私たちは考えています。
Social Change Agencyという組織名のとおり、社会をよりよく変えていくために、社会福祉現場発のソーシャルアクションを多発させていくことのできる生態系、そのプロセスをデザインしていきたいと思っています。
そのために、社会の支え手を増やし、社会の支え手を支え、社会の支え手から社会を変える人を輩出することのできる、現場の実践家、教育・研究者、起業家・活動家の集うプラットフォームをつくっていきたいと思っています。

――では最後に、未来のソーシャルワーカーたちにひとことお願いします。
横山
「でもあんまり偉そうなことも言えないのですが…。」

――もう結構な先輩じゃないですか。ぜひ未来の若者たちにひとこと!
横山
「そうですね…現場で仕事してても日々の生活でも『これって何でなんだろう』って思った疑問、問いを大切にしてほしいということですね。何故かというと、問いを抱くということは自分に対するヒントになるんですよね。自分の中の何かに接続してるからゆえ、その問いを抱くのだと思うのです。ですから、その問いを突き詰めて考える…ときには考えないっていう選択肢を取ることも大事なことではあるのですが、それをポーンと捨ててしまわないでどこか頭の片隅に置いておいて、大切に考えられるときに考えるっていうことを続けていくと、たぶんイイことが起こると思います。」

――おっ、『イイこと』って何が起きるんだろう(笑)
横山
「なんですかね(笑)まあでもそれはなぜかっていうと、問いっていうのは考えるためのツールなので…あれ、質問はなんでしたっけ?」

――『未来のソーシャルワーカーにひとこと』です(笑)。つまり『自分から生まれた問いを大事にしてね』ってこと、かな?
横山
「そうですね。あと現場では技術とか知識とかももちろん大事なんですけど、目の前にいるひとに真摯に誠実に向き合うっていうことを実直に続けていくことは大事だと思います。いくら技術や知識を持っていても、自分に対して誠実に向き合ってくれたかどうかっていうのは全身でメッセージとして他者に伝わると思うんですよね。」
――そうですよね。その姿勢があるのとないのとでは、その後のクライアントさんの行動とか考え方って違ってきますもんね。
横山
「そう思います」
――素晴らしいことをたくさん言いましたね(笑)
横山
「ありがとうございます(笑)」
――言い残したことはないですか?
横山
「はい。だいぶ長く話しましたので。」
――『ひとは変われる』っていう思いから『考え依存』に至るまでの過程をはじめ、面白いことをたくさん聞かせていただきました。きょうは長い時間ありがとうございました。
横山
「こちらこそ、いいカタルシスになりました。ありがとうございました!」


(インタビュアー・テキスト文責:広報部 柴原)
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