「Don't be evil」(ソーシャルワーカーたちよ、邪悪になるな)

公開日: 2018/01/20 思索

現場で、ひとやま超えたね、という人に、
別れ際に、思わず右手を差し出した。
その人は、戸惑ったような顔をして
「おれの手は、汚いからさ」と口にした。
そのまま手を差し出したままでいたら、
伺うような目でこちらをみたあと、服の袖にゴシゴシと手のひらを押し付け、こちらに手を差し出した。
力強くにぎると、思ったよりも強い力で、
ゴツゴツした感触に右手が包まれた。

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この人が口にした、「きたない」は、
物理的な汚さ、ではなかったように、思う。
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人と生活課題を切り分けるとき、短期的な生活課題への対処と、目に見える変化を追い求め、主客逆転していないだろうか。
過去、わたしは、「支援者の主人公化」、「ソーシャルワーカーズ・ハイ」などと自省も込めて、揶揄するような言葉を使ってきた。
他者の舞台で一時的に舞っていたのに、気づいたら、他者の舞台の真ん中で自分がスポットライトを浴びている「支援者の主人公化」
他者の生活課題の複雑困難さを前に、「人」ではなく「問題解決」に支援者としての快感を感じ、気づいたら、他者のハンドルを握っている「ソーシャルワーカーズ・ハイ」
このような状況で現場に立つとき、他者の生活問題の軽減・解決を通して、ズタズタに他者の尊厳を傷つけていることが、ある。
その人が置かれている状況や、支援・被支援という関係性のあいだに生じる「パワー」が、
『あなたのかかわり、介入によって、
わたしの尊厳が、傷つけられている』
という言葉を・メッセージを発することを封ずる。
たしかに、封じて、いる。
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人と生活課題を切り分けるとき、短期的な生活課題への対処と、目に見える変化を追い求め、主客逆転していないだろうか。
ソーシャルワークのすべてのプロセスにおいて、
他者の尊厳を傷つけていないか。
たちどまり、胸に手を当て、
定期的に問うべき問いであるとおもう。
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偶然にも、今日、夜に打ち合わせをした方と「逡巡」という言葉を交わした。
さまざまな困難を有する人のストーリーを、
なんらかの目的のために、使うことのできる立場やパワーを有するとき、「なぜ、逡巡するのか」
それは、冒頭の、人が口にした
「おれの手は、汚いからさ」
に通ずることであるように、思う。
わたしは、今書いているこの文章において、
「おれの手は、汚いからさ」という言葉を「借りて」
それをめぐるさまざまな想像を文章を書くことで、
読み手であるひとに、影響を及ぼそうとしている。
対人支援の現場にいる人間たちは、
個別の他者のストーリーを借りて、
エモーショナルに、センセーショナルに
他者に介入するための火を焚く「薪」には事欠かない。
それゆえ、技術を学び、影響力を高めることに心血を注げば、他者のストーリーを、自分がなし得ようとすることのパワーを増大することに用いることができる。
alphabet(Google)には、
「Don't be evil」(邪悪になるな)という社是があったと
いうけれど、
ソーシャルワーカーたちであるじぶんたちも、
「Don't be evil」(邪悪になるな)
と投げかけあうことが、この時代、より、必要であると思う。
支援者のエゴを増大させず、
人の尊厳をズタズタに切り裂くことを避けるためにも。
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