続・援助記録を書くことの意義について考える

公開日: 2012/04/02 MSW

新年度になりました。今年度最初のエントリは、自分自身への戒めの意味も込めて、「ソーシャルワークにおける筋トレ」でもある「書くこと」について「続・援助記録を書くことの意義について考える」と題し、記していこうと思います。


援助者として現場に立つ上で、感情や様々な外部要因によって変化しやすい要素を排した上で、ケース全体を「俯瞰しようとする」ことを、一度はじっくり時間を取って行ってみるべきだと常々考えています。そして「俯瞰しようとする」行為については、「書く」ということがそれをサポートしてくれるのだと思っています。


まずは書く習慣をつけよう
例えば、エコマップを書いてみる、ということが、この仕事の上では有用です。
エコマップを書き続けていると、いずれ、脳内エコマップ作成スキルが向上していきます。面接しながら脳内エコマップを常にアップデートしながら患者さん家族の話を聞くということを試みることができるので、まずは書くべきだ、と個人的にはお薦めをします。


参考:実践力を高める家族アセスメント〈Part1〉ジェノグラム・エコマップの描き方と使い方

―カルガリー式家族看護モデル実践へのセカンドステップ  著:小林 奈美


援助記録も、新人時代は筋トレだと思って、必死に書く方が絶対いいと思います。

「自分の実践を外部化する」ための一番手っ取り早い作業が記録を書くことです。「書く」ことで、ケース全体を「俯瞰しようとする」その視点を強化し、サポートしてくれます

援助記録は「目的を」持って書けばそこまで苦痛とはならないはずです。

新人時代に記録をめんどくさがって書かないと、成長のひとつの機会を逸します。
それくらい重要なことだと認識しておいても言い過ぎではないのです。

新人時代に、記録を書くしっかりとした習慣を身につけないと、後発的にその習慣を得ていくのは、業務が忙しくなればなるほど大変になりますので、早い時期に「記録を書くクセ、習慣」を意識的に得ていくことをひとつの目標としてもいいかもしれません。

書くことは考えることと同義
書くこと」=「考えること」です。
至ってシンプルな論理から導かれる上記に従い、援助記録を書くべきだと思います。

その日のうちに書かない記録は、単に「なにがあったか」を記すだけのものになってしまいますが、その日にきちんと書けば、自分の思考、感情の整理にもなりますし、自分が捉えている事実の中で全体像を描くための一助にもなります。まさにいいこと尽くめです。

記録は、慣れれば時間もかからなくなりますし、同じフォーマットで書いていけば、「ケースに対する思考整理」の雛形を得ることができます。

フォーマットは必要に応じて変化させていけばよいと思いますが、まずは一般的な様式を用いることをおすすめします。自己流ではじめてしまうと「型無し」になってしまうからです。(その辺りのことについては過去エントリ:「援助記録を書く意義について考える」において記しましたのでご参照ください。)

記録を書かないと援助者自身のための「実践の外部化」の機会は極端に少なくなってしまいます。

記録を書くことによる実践の外部化のトレーニング」は日々行うことができます。
ですが、このトレーニングをサボると、「なんとなく」仕事はできても、その根拠をしっかりと他者に伝えることは難しくなります。

上記のトレーニングをサボってきた援助者は、自分の実践の根拠を他者や後輩に伝えていくことに不得手なんではないか、と仮説を立てています。


「実践の根拠を言語化できない」=「専門職ご隠居・引退発言」
厳しい言い方ですが、

「実践の根拠を言語化できない」
「わたしは、アセスメントできません。」という「専門職ご隠居・引退発言」

ということではないかと思うのです。

センスがずば抜けてるという人もたまにはいるでしょう。
ですが、この仕事にショートカット可能なスキルなどはほぼ皆無です。

自分自身が、普通のソーシャルワーカーであると自覚するならば、『地道な筋トレを続けることができる人だけが「援助者としての見晴らしの良い景色」を見ることが出来るんだ』ということを覚えていた方がいいと思うのです。

この仕事の疲労感は正直けっこうなものがあります。
ですが、「ああ、今日も頑張った、疲れたー」は努力ではなく自己満足です。
それに気づけてはじめて、自分の努力目標を設定することが出来るのです。

自分に甘いといつまでたっても、階段の一段目でウロチョロすることに成りかねない。
それって恥ずべきことでしょ?という問いかけを自分自身にしてあげられるかどうか。
私にとってはとても大切なことです。

研修会とか講演を聞いて「わかった」気になるのはやめにしましょう。
あそこは言ってしまえば「技の型とかのお披露目会」で、筋トレをする場所ではないのです。

筋トレの仕方がわからないのなら、面接の逐語録を書いてみることをおすすめします。
面接の内容を言葉ひとつひとつ覚えていないと逐語録は書けないということに気がつくでしょう。イメージとしての面接を思い起こせないと、逐語をおこすのはそうとうしんどいはずです。

ソーシャルワークに必要な筋肉は逐語録を書くことで相当鍛えられます。
言ってしまえば、「逐語録を書くこと」はソーシャルワーカーとしてのインナーマッスルを鍛えることでもあるのだと思うのです。

筋トレもろくにしないで、研修会とかに行ったとしても、自分の筋力に合わない型を選んでしまい、結果、怪我をすることになりかねません。かすり傷ならいいですが、大怪我をしたら、取り返しがつかないことになります。

「筋力に合わない型を用いると、クライエントに大けがを負わせる可能性がある」ということに気がつくべきです。それが「自身の身の丈を知る」ということでもあります。

こういった危機感を煽るようなことを優しい同業者たちは言ってはくれません。
でも気づいている人は必死で筋トレしています。そして、ソーシャルワーカーとしての階段の一段先を登った景色を気持ちよく眺めているのだと思うのです。

そして、次の素晴らしい景色を求めて、修行を続けるのだと思うのです。

人は様々なものの中から、1/100でも「ああそうだな」と思えるものを紡ぎ合わせて、オリジナルを創っていくものだと思います。

ですから、私も「100共感してください。100自分が正しい」とは思っていません。

それを理解してなお、突き抜けようとする時期が必要で、ゆるやかにぬくぬくと過ぎ行く時間と付き合うくらいなら、自分は違う道を選びたい、と思っているだけです。

わたしは、追い風ベースで生きていたいと思っています。

誰かの行動を「封する」押し蓋にはなりたくありません。
押し蓋ベースで生きていくのは今の自分にはそぐわないのです。

ですから、誰かの行動を後押しする「追い風」になりたいと思っています。

願わくば、このブログを読んでくださっている方の「追い風」になり、1/100でも共感して、ご自身のオリジナルを形成する一助にしてもらえたら、と思っています。

新しく、この世界に飛び込まれた新人さんが、今抱かれている志を持ち続け、誇り高くソーシャルワークの仕事を続けていくことができるよう、わたしも頑張っていきたいと思います。

長くなりましたが、今年度もよろしくお願いいたします。




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