自らで学びの門戸を常に開き続けるための仕組みについて考える

公開日: 2012/10/15 MSW 思索

この業界でよく聞く、MSW=「転院屋」論。
本エントリの結論は、上記とは関係のないものになりますが、あらかじめご了承ください。


MSWが院内で離れ小島としての「転院屋」ポジションしか確立できないのだとしたら、それはおそらく、他職種との関わりの中で、ソーシャルワークをメッセージとして伝えることができていないことが一番の理由だと思います。



組織での立ち位置を嘆く前に、「他職種との関わりの中で、ソーシャルワークをメッセージとして伝える」ということをどのように意識し、遂行しているかというチェックが必要だと思うのです。


まずは、日々のルーチンワークを見直す。
あまり、熟考せずとも、こなせることについて、しっかり見直す。


ルーチンワーク化されていく日々の業務に、意義や気づきを得られなくなると、仕事はつまらなくなります。それは怠惰への入り口です。


経験の蓄積はルーチンワーク化を許しますが、その反面、学びの門戸を収縮させてしまうこともあります。このことに気づ
いたなら、自らで学びの門戸を常に開き続けるための仕組みを考えるしかないのです。


「自らで学びの門戸を常に開き続けるための仕組みを考える」

その上で大切なのは「気づく力」なのだと思うのです。


気づく→問いを生む→考える、というプロセスをみたとき、気づくことができないと、考えるところまで行きつきません。


ルーチンワーク化された仕事を常にアップデートし続けるには、学びの門戸を開き続けている必要があって、そのためにはルーチンワーク化された仕事を点検し、考えることが必要。



でも、考えるにも、材料がいる。最良の材料を得るための装置が「問い」であり、問いを生むには「気づく力」が必要。



そして、それってどんな仕事も、楽しくさせちゃう魔法の力でもあるように思うわけです。



そして、「気づく力」についてのもうちょっと深堀した言語化をすすめていきたいのが、ここ最近のじぶんの課題だと考えています。






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