「他者ラベリング」が対人援助職にとって禁忌である理由について考える

公開日: 2013/05/26 MSW コミュ論 思索 自己覚知



私はプライベートで、特に意図せず、相手をラベリングするということをよくします。
これは、私に限らず、世の中の多くの人はそうしているのだと思います。

相手をラベリングするとは、「この人は、こういう人」というラベルを他者に付与することです。ですから、ラベリングは、他者とのコミュニケーションを楽にしてくれます。


「この人はこういう人だから」
「やっぱり、私が思っていた通り、この人はこうだから、こういうことをしたのだ」


というように、自分が採用した他者へのラベルが、他者理解を容易にする(と思い込ませてくれる)のです。これは、コミュニケーション・コストを減らし、他者とのコミュニケーションを楽にします。


人は、相手がどんな人間だか皆目見当がつかないと怖いので、他者をラベリングし、自分の理解の範疇に置こうとします。そうすることで自分自身を安心させることができるからです。



ですが、対クライエントにおける「ラベリング」は、対人援助職にとっては”禁忌”です。


クライエントをラベリングをすると、援助者にとって都合のよい解釈が為されやすくなり、クライエントの揺れや変化を軽視するリスクが高まります。


アセスメントとラベリングは時に混合されるリスクがあります。
主観的事実と客観的事実から、「このケースはこうだ」という論に帰着するのは、アセスメントではなく、「ラベリング」です。このことは留意し過ぎてもし過ぎることはないと考えます。アセスメントにおいて重視すべきは、クライエントのパーソナリティよりも、「クライエントと、その環境との間に生じているモノゴト」であるはずです。


対人援助職がエネルギーを投入すべきは、対クライエントであるのは当然です。
ですから、いつでもそこに可能な限りのエネルギーを投入できるような、自己コントロール方法を身につける必要があるのだと思っています。


自己覚知は、過去にも同様のことをお伝えしていますが、「対人援助職として、クライエント対して、最良のパフォーマンスを提供するために必要な、セルフコントロール術」と言い換えられます。


私は、セルフコントロールを考えるとき、”自分の中に余白を持つ”ということを考えます。




気持ちの余裕+頭の中の空きスペース=余白


私が個人的に大切にしている概念です。
気持ちの余裕と、頭の中の空きスペースをもつこと。


私は、キャパシティが決して広くないので、いつも、どうすれば自分の中に余白を生み出しておいてあげられるか、ということについて考えています。


そして、このことについてもう少し深く、考えていきたいと思っています。



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