大学時代の恩師からの教えを守ることで得られたもの

公開日: 2013/06/12 MSW 思索



みなさんには恩師と呼べる人はいますか?
私は、”ソーシャルワークの恩師”と呼べる方が、3人います。

3名の方全て、私が大学時代に出会った方たちです。


1人は私にソーシャルワークという世界があるということを教えてくれた方。
もう1人は、私に医療機関のソーシャルワーカーになるという決意をさせるきっかけを作ってくださった方。


そして、大学時代のゼミの恩師です。

本エントリでは、大学時代のゼミの恩師からいただいた教えを守ることで、得られたものについて、記させていただこうと思います。


恩師は、後期高齢者ですが、未だに現場を持っています。
私が卒業後、学長になり、退官された後も幅広いフィールドで活躍をされています。
その分野が多領域に渡るため、もはや恩師について言及するとき、「恩師の専門はソーシャルワークである」としか言えません。


学生時代に受けた講義は難解で、よく覚えていないものも多いですが(笑)、なによりも、背中をみていると「なんだかよくわからないけれど、この人は、ものすごい人で、そのものすごい人から教えを請える自分は、ものすごい幸運なのだろう」とハタチそこいらの若造に、感じさせるオーラがありました。


その恩師から、卒業式の日に高級そうな革製のノートをプレゼントしていただきました。

「仕事をはじめて、感じたこと、考えたりしたことを書き残しておくと、きっと未来の自分にとって役に立ちます。」

一緒に添えられていた手紙には、そう書かれていました。


社会人1年目でノートは4冊になりました。
恥ずかしくて内容は書けませんが、悩みの日々が綴られています(笑

その後、Blogを開設するのですが、そのきっかけも、ゼミの恩師の影響が大きかったです。


「仕事をはじめて、感じたこと、考えたりしたことを書き残しておくと、きっと未来の自分にとって役に立ちます。」


私は、7年間、その教えをずっと守ってきました。
そのことで、得られたものは計り知れません。


そして、卒業後に恩師から得た教えがもうひとつあります。


恩師からスーパーバイズを受けた時に、他機関の人との関わりについて、「○○さんと、過去にどういったケースを一緒に担当したかを残しておくとよいでしょう。」と言われ、「なるほど」と思ってから愚直にその教えを守っています。


当初は、エクセルシートに関係機関の方の名前と、いつ、どなたのケースで一緒に仕事をしたかがわかるように管理していましたが、数年経ち、今は書き残す必要はなくなりました。すぐに思い出せるようになったからです。


電話をかける場合も、かかって来る場合も、久しぶりの相手の場合は、一番最近一緒に担当したケースを時間が許す限り、引き合いに出します。


「以前、○○さんの件では、本当にお世話になりました」
「○○さん、外来でお見かけしたところ、〜のような感じでした。ご自宅ではどんな様子ですか?」


という言葉のやり取りをしながら、当時一緒にケースを担当していた頃のことを、二言三言やり取りしながら、「それで、本題なのですが」と話に入ります。


これを、コミュニケーションのストレッチと位置づけています。


お互い一緒に仕事をしたことを思い出しながら、新たに恊働すべき仕事を始める前に、互いの温度感を確かめ合う、という本題に入る前の準備運動としては、非常に意味があるな、と常々思っています。


「心に響いた教えは、効用がどうのこうと考えず、とりあえず愚直にやり続けてみる」


斜に構えたとき、「教え」の効用は半減されます。
そして、斜に構えたその時点で、既に「教え」は教えではなくなります。

自分の機微に触れ、「ああ、そうか。そうだ」と感じたならば、とりあえず、実行してみる。続けてみる。


そんな弟子体質をいつまでも持つことの出来る自分でありたいと思っています。



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