ミッション化する行為たち〜私個人の19歳時のソーシャルアクションを回想する〜

公開日: 2013/10/08 MSW SCA 思索 自己覚知 自分史 実践知プレゼン



前回エントリ:「ミッション・ロンダリング」〜行為は自己実現欲求と近接シンボルによってミッション化する〜において、『自己実現欲求と、近接シンボルにより、行為がミッション化する、つまりは、使命=「自分が為すべきだと心底信じ切る」という等式が自分の中に導かれる』ということについて、抽象的な話をいたしました。


本エントリでは、「ミッション化する行為たち〜私個人の19歳時のソーシャルアクションを回想する〜」と題し、『自己実現欲求と、近接シンボルにより、行為がミッション化する、つまりは、使命=「自分が為すべきだと心底信じ切る」という等式が自分の中に導かれる』ということについて、私個人の過去の経験を踏まえ、「ミッション化」について、話をさせていただきます。



………………………………………………………………………………


私は中学生時代に大病をし、中学半分は家と病院で過ごすような生活を送りました。



私には3つ年離れた弟がいるですが、当時小児科病棟は感染症持ちこみを防ぐために、家族であっても15歳未満子どもは病棟に入ることを禁止されていました。


ですから、両親が見舞いにきてくれても、弟は家で待っているか、病棟外で待っている。もしくは、私が調子よいときに、病棟へ出ていき弟と会う、というような状況でした。


数年後、紆余曲折あり、工学部を辞め、社会福祉道を志すようになります。
あたり自分語りは機会があればいつかお話しできればと思います)


1つ目大学を1年で辞め、編入学をした2つ目大学は医療と福祉学部がある国公立の単科大学でした。工学部にいる頃と比べ、入ってくる情報種類は全く異なりました。



こで知ったが、
「未だに、小児科病棟には小さい子どもは家族であっても入れない」
という事実でした。


事実を知ったことが、私人生最初「ミッション化」を生みました。



当時19歳だった自分は、今思えば青臭さ丸出しであるですが、「気づき、知ったからには、そままにしておくことはできない」と考えたです。


要するに、自分が為すべきだと心底信じ切ることができること」=「使命」
を得たのです。


そして、そこに存在したのは、私にとっての「近接シンボル」である「自分が病気をしたという経験と、それに付随する家族のこと」でした。


私は、満たされずにいた「自己実現欲求」を、自らで見出した、自身の近接シンボルに向け、最大限フォーカスしていくことになります。そこで生み出されたエネルギーは今冷静に振り返ってみても大きなものであったと思います。

………………………………………………………………………………


そして、「病気子どもきょうだいを支援する団体」を立ち上げに至ります。

私が19歳のときのことです。

活動内容は何も決まっていませんでしたが、病気子ども以外に、きょうだいへも目を向ける必要があるではないか、ということを言葉にし、10名ほど賛同者とともにスタートをしました。


後、難病子どもをもつ親御さんたち主催キャンプに行き、ニーズ調査をした
り、学内で協力してくれる教授を捜したり、活動場所を求め、小児病院と話し合いを持ったり…。

結果、「小児病院で面会に来たきょうだい子どもさんを学生でお預かりし、遊びを提供する」という活動を開始するに至りました。


後、病院側にお願いをし、ボランティアを開始するにあたり、研修を組んでもらっ
たり、活動助成金を得たりと、活動自体を広報したり、ということを学生時代に行ない、卒業時には100名ほどボランティアメンバーに恵まれました。



活動自体も全国紙やNHK特集などで取り上げられ、「病気子どもだけではなく、きょうだいへも目を向けてほしい」というメッセージを社会に伝えていくことも少しだけですが、行なうことができました。



大学卒業年に、NPO化とそれを資金的にバックアップしてくれるという方々からお話をいただくこともあったのですが、わたしは、まずは医療機関でのソーシャルワーカーとしてのスタートを切りたいと考え、現場でクライエントに対峙することを選びました。



2004年にスタートした活動は、創設メンバーが卒業した後、現在も継続しており、
今年で9年目を迎えます。後輩が、シンポジウムに参加し活動報告をされたり、ソーシャルアクション機能を継続して行なってくれているようです。


活動自体を振り返ったBlogエントリをいずれ書かせてもらおうと思っています。
ソーシャルアクションとして視点を実地で学ぶことできた経験でした)



………………………………………………………………………………


以上が、私個人、人生1つ目の行為の「ミッション化」です。



19歳当時、アイデンティティクライシスに苛まれながら、見出した、私自身の近接シンボルである「自分が病気をしたという経験と、それに付随する家族の問題」


その近接シンボルに、自己実現欲求をフォーカスし、自己実現欲求を満たしながら、エネルギーを生み出し続けていったのです。


………………………………………………………………………………


遠隔シンボルを見つけては、自己実現欲求をフォーカスし、簡易ミッション化し、自己実現欲求を満たす。ですが、遠隔シンボルは、自分ごと化しにくいので、長続きしないのです。

遠隔シンボルは、他者によって、シンボライズされますが、近接シンボルは、自らのライフストーリーをなぞり見出し、シンボライズしていくしかないのです。

遠隔シンボルは、用意されています。(既知です) 

近接シンボルは、自分事であり、「ライフストーリーの中に存在するイベントにより個々人の中に形成されたセンシティブなもの」であるわけなので、見出し、シンボライズするには、多大な労力を必要とします。(つまりは、未知の要素が多いのです)



………………………………………………………………………………



私は、今年、Social Change Agencyを立ち上げました。



Social Change Agencyは、様々な分野で、様々な実践知を有するソーシャルワーカーたち が、集い、社会に対し有意な働きかけを為すことができる”コミュニティ・プラットフォー ム”を目指し、『”Social Worker”として社会を支え、”Social Change Agent”として社会を変 えよう』をミッションとして掲げ、事業展開をしていくことを目的としています。



これは、私にとっての、人生2つめの「ミッション化」されたものです。


19歳当時に得た、人生最初のミッション化から10年。



人生2つめのミッション化として生まれた Social Change Agencyは、私自身のどのような「自己実現欲求と、近接シンボル」を包括しているのか。


今は未だ、そのこたえを言葉にするのは時期尚早だと感じています。


いずれ、どこかで、こたえは出るでしょう。


実践と、ソーシャルアクションの両輪を得た今、
その日まで、ただ、突っ走るのみです。



………………………………………………………………………………

Social Change Agency を設立しました。


  • ?±??G???g???[?d????u?b?N?}?[?N???A